人間関係リセット
ネットでブログを始めたのが2004年。
当時、妊娠して入籍をして引っ越しをした。
元夫は、付き合っている時~結婚初期(2年目ぐらいまで)は、ものすごく束縛が酷く、私とお揃いの携帯電話にして異性の連絡先を親族以外消去したり、自分の気に入らない友達と縁を切るように迫ったり、友達の結婚式に参加するのも「他の男の目に留まるのが嫌だ」という理由で断らせたりするような男だった。
あっと言う間に元夫とその親族以外との接触は無くなり、実家から離れた所に結婚のためにマンションを借りたので、私実家の家族以外の他人と接する機会が失われた。
私はコドモを産んで、その日あった事、感じた事を仕事から帰宅した夫に報告がてら話していたら、
「のべおにの話はしょ~もない。専業主婦の一日あった事なんて聞いてておもんない」
とハッキリと言われた。
それから、私はブログに嬉しかった事、腹が立った事、悲しかった事、不安に思う事を書き綴る事で、誰かとの繋がりと承認欲求を満たした。
色んな人のブログを読み漁り、コメントを残し交流することで、ブログだけの付き合いだけでは無くメールを送り合ったり、年賀状を交換したり、贈り物を頂いたり贈ったりする人がネットを通じて出来て来て、現実世界よりもより自分らしく振る舞えるネットの世界の人間関係が自分の中では「正」となり、いつしか現実世界が「負」となるようなバランスに変わっていった。
私の「書く」パワーはほぼほぼ元夫に対する愚痴や怒りを書きなぐる事だったし、満たされない気持ちを妄想を垂れ流す事で埋める事だった。
離婚が成立して、今の夫と結婚し、今の生活が満たされて安定した物に変化すると、今までネットで愚痴を書き殴るような事をしなくなり書く事が止まった。
それから、不倫に興じて「真実の愛」と言っている人や、一つの食べ物を排除することに邁進する人、スピリチュアルな世界の文面が、頭に入って来なくなった。
読んでも面白く感じない。
読みたくない。
一応「イイネ」や「ペタ」はつけるけど、何も心に響かなくなった。
ネットで人間関係を築き始めて約10年。
今まで繋がって来た縁が切れていった。
能動的に切った場合もあるし、お互い自然とフェードアウトした場合もあるし、再び縁が繋がったけどやっぱり無理となった場合もあった。
この10年で私は何か変化をして、築いたものがわぁ~っと盛り上がり、そして、この2年ぐらいで急激に解体し、私のネットの世界の周囲には誰も居なくなった。
最近、また、書きたくて仕方なくて。
でもそれは今までみたいにキラキラしている人を追いかけて、「憧れています!これからも更新楽しみにしています!」というようなコメントを入れるような事では無くて。
そうする事で、「キラキラした人にならないと・・・」「キラキラしたい」と言う呪縛から開放される方向で生きて行きたいな、と。
今度はホントの、等身大の私とつきあってくれる人間関係を築いて行きたいな、と。
たこ焼き粉焼き
先日、お好み焼きを作ろうとスーパーへお好み焼き粉を買いに行ったら、間違えてたこ焼き粉を買って帰って来てしまった。
帰宅すると、家にはたこ焼き粉未使用が既に1袋あって、2袋のたこ焼き粉を消費せねばいけなくなった。
そこで、先日居酒屋で食べた「とんぺい焼き」をイメージして、【たこ焼き粉と卵、水、顆粒だし、チーズ】だけの、まさかの豚平の豚抜きを作ってみた。
たこ焼き粉と水の分量がなかなかうまく調整できず、トロットロで固まらない物を何度か食べた。でも、出汁が効いていて非常に美味しかった。
当初は豚バラや干しエビも入れていたけれど、おやつにしてはちょっと贅沢すぎる・・・と反省し、エンゲル係数がダダ上がるので、本当に粉と卵とチーズだけにランクダウンさせた。
昨日は自分のために作っていた「たこ焼き粉焼き」をコドモが「僕食べたい」と言ったので半分こして出したら、「美味しい!!!」と非常に喜んでくれて(嬉しい・・・)、元気に「おかわり!!!!」とか言ってくれて、結局食べられなかった。
なので、今日はコドモが居ない間に自分で作りめいいっぱい食べた。
今回はいつも固まりにくいので粉の量を増やして、目玉焼きを追加する豪華仕様に。夕方、じっくり火を通している間に洗濯物を干したりたたんだりしながら、家事が一段落してからゆっくり食べた。
止まらなくなって、お腹いっぱい食べてしまって、夕飯が食べられなくなるという・・・(笑)
何度もたこ焼き粉焼きを作るので、2袋あったたこ焼き粉が、もう残り1つ。それもあと半分ぐらい。今回から粉の量も増やしたのできっとあっと言う間に使い切ると思う。
ネギやキムチがあれば挟めばいいし、なければ卵と顆粒だしとチーズだけでかなり美味しいし、何より熱々のトロトロで・・・!!寒い冬に胃袋からホカァ・・・ってなる幸せを仕事から帰宅して噛み締めている。
試行錯誤しながら、我が家のたこ焼き粉焼きの硬さや分量がようやく定まったのも嬉しい。
明日のおやつは、今夜のすき焼き風煮物のお汁に冷凍うどんを入れる事が既に今夜から決定していて。これはコドモリクエスト。最近、よく食べるコドモはスナック菓子などはもう、食べた後、食べてないみたいに振る舞うので、「1食」という形で間食を挟んでからの夕食にしています。
男子の食欲恐るべし。
あとデブの食欲も。
チョコレート好き♥
2016年のバレンタインデーが終わりました。
今年もたくさんのチョコレートをコドモの所に集まって来まして、これから家族でちょびちょび食べるのが非常に楽しみです♥
コドモは今日一日の最後に、頂いた全てのチョコレートの包装を剥いて中を確認し、「✧*。٩(ˊωˋ*)و✧*。」という顔をして冷蔵庫にしまっておりました。
(かわええ・・・)
毎年、義母さんや姉たちからコドモへチョコレートを頂くので毎年すごい量のチョコレートがしばらく楽しめます。
スーパーでもこの時期には形や味に工夫があるチョコが安価で手に入るから本当に嬉しい。情報番組では百貨店の特設コーナーの特集などで、私達が購入したり口にしたりするのとは一桁多い、ものすごく美味しそうで、手の込んだチョコレートが並んでいるけれど、私の舌はスーパーで並んでいるチョコと、高級おチョコとの味の違いを判別できる能力を持ちあわせていないので、近所のスーパーのバレンタインコーナーのチョコで、大変喜べる女なのです。
世の中では「義理チョコ廃止せよ!!」と言う主張の方が私が目にする情報では多いのですが、実は、私は、義理チョコ渡すの好きなんですよね・・。
と言うのも、普段からホントにお世話になりっぱなし感があるのに、私みたいな目下の物はなかなか感謝やお礼を口で伝えて態度で喜びを表現することぐらいしか出来なくて。いつもいつも私ばっかりが「してもらっている」状況に非常に恐縮してしまっておりわけで。
なので、義理チョコを「本当に、いつもいつもお世話になっています!!もう、ありがとう~~ございます!!!」の気持ちを込めて選んで渡しています。
と、言っても、スーパーの特設チョコですが。
今年は会社で初めて「お金を●●円集めて男性社員にチョコを渡しますので参加しますか?」みたいなメールが来ましたが、コチラも喜んで参加しました。
・・・と言うのも、私は転職して来た時期がバレンタイン後だったにも関わらず、ホワイトデーの時期には在籍していたので、「何もしていないのに、ホワイトデーを貰ってしまった」のです。
そして、それを「えぇ~!?何もしてないのにぃ?いいんですかぁ?」などと言いながら喜んで食べた者なんですっ!!!
なので今年のバレンタインデーは、私にとっては「ホワイトデーのお返し」となり、ずっと、「何もやっていないのに貰ってしまったホワイトデーのお返し」となるので、気持ちの負担は全くなく、加えて、企画や段取りをしてくれるのも私では無いので金銭面の事以外は何も負荷がかかりません。
そんな訳で、普段自分では買わないチョコを買ったり貰ったり、家族と分けあったりするこの企画が実は大好きなのです。
今日も義実家で、義母が義父に送ったチョコを分けてもらったりしたりして・・・。(笑)気をつけないと吹き出物が出来てしまうので、コドモと相談しながら調整しながら、しばらくチョコライフを楽しめます。
■レシピメモ■【随時追加】
めんつゆにアボカドとレモン汁とごま油を入れて一晩。翌朝、幸せな白ゴハンのお伴が貴方を待っています。#とにかく楽な料理選手権 pic.twitter.com/h4vFE70zbz
— ちくいち (@coffee_or_tea_) 2015, 11月 10
夢の中で海外旅行へ行った話。
知り合いの人がブログで、海外に行っていた。
海外に行くって凄いなぁ。
今日知り合った人も、「毎年ハワイへ行っていました」なんて言っていて。
世の中の人の、その行動力や旅行へ行くお金とか、凄いなぁって。
そんな事を考えている近頃。
夢の中で海外旅行へ行く夢を見た。
どこの場所へ向かっているかは分からなかったけれど、豪華客船に乗って海外へ・・・という事だった。
だけど私は、すごく怯えていて。
「どうして良いのか分からない不安」「やった事が無い事に対する不安」「知らない事をすることに対する不安」
これらが、私の行動をものすごく制限するのが分かる。
知らない人に合う事、知らない場所へ行く事、これらが全く楽しめなくて”恐怖”と”不安”と”不快感”になってしまう。
なので、「旅行」などで全く知らない場所へ行く場合は、ホテルや旅館から出たくないし、ものすごくその土地や場所に詳しい人にナビゲートしてもらいたい。
お友達たちは、「分からない事は日本に居れば聞けば大丈夫!!\(^o^)/」と言い切ってしまうのが凄い。確かに聞けばいいんだけれども、そうじゃなくて、不安で怖いんだよ。
それでも、知らないお店に行って美味しいものを食べたかったり、豪華な旅館に行ってゆっくりリラックスをしたりすることを夢を見ているんだよなぁ。
そういう事を望む気持ちがなければ全く問題は無いのだろうけれど、行きたいのに怖くて行けない・・・というヤマアラシのジレンマみたい。
知らない事にトライする事が楽しい!!
っていう人、凄いな。羨ましいな。
行きたいとこ、やってみたいお店、たくさんあるのに行動には移せないなぁ。
いつか吹っ切れてガンガン楽しめるようになるのかなぁ?そういうキッカケやスイッチがあるのかな?
書きたくて、書けなくて。
私がBlogを初めて開設したのは2004年の冬でした。
学生時代の友達が書いているらしい・・・と教えてもらって、彼女のBlogを読むうちに、自分も書きたくなって始めました。
最初に開設したBlogは「gooブログ」でした。
それから、色んなBlogを転々としましたが、一番長く書いていたのはアメブロだったと思います。
私がBlogを書くのは、
「配偶者・パートナーが私の話をまともに聞いてくれないので、Blogに吐き出す」
というのと、
「配偶者・パートナーや身近な人の悪口を直接本人には言えないからBlogに吐き出す」
という「吐き出す系」のゲロBlogが当初、スタートした時のスタンスでした。
ですが、「Blogでお金を稼げる」というのを知って、依頼を受けた内容に沿った記事を100円や150円で書いたり、モニターに応募してその使用感を書いたりと「小遣い稼ぎ系」のBlogへ推移して行きました。
その時は、コドモがまだ小さくて働きに出られずに専業主婦だったので少しでも自分の化粧品や美容院、洋服などを購入するお金が欲しくて、本当に「これってすごいです!」「試してみたいです!」「現品購入決定!」みたいな事を書いておりました。
そのうち、自分の内面を見つめるようになり、スピリチュアル系のBlogを読むようになり多大な影響を受けるようになります。
きっかけは、ホォポノポノからだったと思うのだけれど、そこからそういう事を熱心に調べては発信しているBlogを読み、”そっち方面”の自己改革をスタートします。
その頃は、「日々感謝」とか「幸せと言っていたら幸せが来る」みたいな軸で、全てをそういった方向に絡めてBlogを書いておりました。(実際そう信じていたし・・・)
今は、
物の考え方や角度を変えて、自分の心を楽にほぐすのはアリだけど、特定の食品を排除したり、感情のこもらない感謝や謝罪を形式的にするよう事を盲目的に信用するのはチョット・・・
という心境になっております。
なので、実の姉が有名な占い師に手相を見てもらったり、お揃いの数珠(パワーストーンかな?)をつけていたり、パワースポットへ行ったりするのを、一歩引いた目で見ています。いずれは私のように「あれ?」と思うかもしれないし、思わなくてガッツリ行ってしまうかもしれないし。それはそれで、姉(達)の人生なので、私は何も言う事はないのだけれど、姉(達)は楽しそうなので良いと思うのです。だけど、あの独特の「幸せ!」「感謝!」が全面に「正義」として振りかざされるのを受け取るのって、なんだかこちらがすごく消耗しちゃって。
そういう紆余曲折を経て、ここ2年ぐらいBlogが書けなくなってしまいました。
前回の記事でも書きましたが、「Twitterを読み物として楽しむように」なり、SNSを利用するにあたって、今まで私が何も意識せずにやってきた事、書いて来た事が、実は「ちょっと・・それは・・」という事が多々あったのです。
例えば、facebookに友達と写った写真をupする。
私は私の知り合いだから良いけれど、友達は顔を出して欲しく無かったかもしれない・・とか。
自分の心の中を詳細に書き綴る事も、自分はスッキリするけれど読む人が読めば自分が特定されるような詳細さだったり・・・とか。
自分とSNSのつきあい方、自分が今後何を発信して行きたいのか、そういう事をここ2年ぐらいずっと考えていました。
その間にいくつかBlogを開設し、だけど、書き続けられなくて閉鎖し、また書きたくなって・・・の繰り返し。
私は、こうやって自分の考えている事が実際につきあってる現実世界の家族・友達・知人に「知られたくない」という気持ちがある事。
だけど、自分の家族との記録(季節の行事やお出かけなど)は、家族・友達・知人に「知って欲しい」という気持ちがある事。
以前、何かで目にしたけれど、SNSで見せる顔と普段の顔が違うという事をここに来てようやくハッキリ自覚した訳です。
本当は、アカウント一本で世間にも発信しながら、家族・友達・知人にも自分のBlogをお知らせ出来るような統合された性格なら良かったのだけれど、
「部屋が汚い」「痩せたい」「オシャレになりたいよー」「TV面白い」
みたいな事を発信している事を、現実世界でつながっている人には知られたくないと思っているのです。
以前はmixiを使って細かく公開制限をかけて内容によって伝える人を変更していたけれど、最近スマートフォンデビューした姉たちにはmixiの登録がちょっと敷居が高く、ログインしたところで人が見ていない現実が待っています。
色々考えた結果、個人の日記用と公に発信する用の2つのBlogを書く事に、2年ぐらいウロウロしながらようやく決めました。
そして、私は、やっぱり「書きたい」のです。
誰かの為になるような事でもなく、
誰かを「おっ!」と思わせる面白い事でもなく、
ただ、自分の心に溜まったものを、文字に乗せて発信したいのです。
そういう欲求が、私にはあるのだと、何度もBlogを辞めてもやっぱり書き始めてしまう事が物語っているなぁと思います。
好きな事を宣言しておくこと
今夜は、TV番組「モニタリング」で、私が今興味が湧いて湧いて仕方のないムロツヨシさんが出演されていました。
普段から、(動く)ムロツヨシさんが好きだと公言しているので、お風呂に入っていた私を夫がわざわざ呼びに来てくれて、「心霊現象に反応するムロツヨシ」という、実に楽しい映像を見る事が出来ました。
今日の事で、以前目にしたTweetを思い出しました。
最近思うんだけど「自分が嫌いなもの」をいつも言ってると、周りの人はそれを気にして何も出来なくなってくる。「自分の好きなもの」をいつも言ってると、何かの機会にそれが貰えたりする。なら、好きなものを呟いてるほうが得じゃないですかね?って思うんだけどどう?
— ナム軍曹 (@sgtNAM) 2015, 3月 17
以前、SNSで知り合ってBlogやメールを通じてやりとりをするようになった人が、
「こういう人が嫌い」
という事をTwitterで呟きまくっていました。
最初のうちは、呟かれている人の方が非常識なのだと感じていましたが、時が経つにつれて「こういう事する奴最低」「こういう奴は大嫌い」という”こういう”が、自分の行動をなぞっているように感じて来ました。
Blogのコメント等でやり取りすればとても優しいけれど、日頃呟く内容は暗に私を嫌いだと言っている・・・。最初は「私が考え過ぎかな?」「被害妄想かな?」と思っていたのだけれど、だんだんその人が呟く内容に興味を失ってしまって、その人の呟きにノリノリにコメントしている周囲の人にも、その人達が紡ぐ言葉にも興味が無くなってしまって、タイトル通り「好きな事しか好きじゃない」私は、社交辞令的にコメントをしたり呟きをチェックすることもしなくなってしまいました。
その人と縁が切れる時には、「大嫌い」というお言葉を頂き、
「あぁ・・・あの呟きの数々は私に向けての言葉もあったのだな、やっぱり。」
と思ったりもしました。
「あれが嫌い」「あんな事する奴が嫌い」「あれを好きだと言う奴が嫌い」「見た目が悪い奴が嫌い」「努力しない奴が嫌い」・・・
とにかくその人の色んな嫌いや不快感は怠惰な性格の私にとっては近寄りがたい雰囲気を醸しだしていて(まぁ、実際には嫌われていたので近寄って欲しく無かった、という意志の現れなのだけれど。)、話す内容に私の中で制限がかかってしまって上手く付き合えなかったなぁ・・・。
人間だもの、嫌いな物はあることはもちろんなのだけれど、それを言葉に乗せる時に「自分が嫌いな物を大切に思っている人が居る」という事を忘れないように発言しないとなぁ・・・。なんて、その人を見ながらしみじみ感じたのでした。
あんな風に「嫌い!」「私は正義!」と言いながら人を押しのけて進む様子を、私はついて行けなくなってしまって。
私が勝手にフォローさせてもらっているTwitterでも、「嫌だ」「嫌いだ」「不快だ」という意思表明を140文字の言葉に乗せて世界に発信している人は多々いるけれども、とても上手で面白いなぁって思うのです。
以前はBlogの世界しか知らなかったけれど、一昨年ぐらいからTwitterを「読み物」として楽しむようになって、世の中にこんなに天才たちが眠っているのか!!!と驚く事ばかりで。
Twitterを読むようになってから、その人(達)の言葉が、自分にだんだん合わなくなって行くのは感じました。いつまでも噂の【CopyWriting】をリツイートしていたりするのを見て、「この人の周りには、このアカウントが他人の言葉を勝手に使っているという情報がまわって来ないのかな?」と思っていたし、その人に誰も教えてあげる雰囲気では無かったのかもしれないなぁ、などと想像してみたりしています。
私も好き嫌いはハッキリしている方なのだけれど、今後の人生においては、発信する時は「好き」を全面に押し出して行きたいなぁと思っています。
そうすると、今夜みたいに素敵な情報を貰って「きゃぁ!!」と幸せなヒトトキを過ごせちゃう機会が増えていくんじゃないかなと思っています。
それってとても楽しみで、ワクワクするな。
ねぇ、聞いて聞いてっ!!
ちょっと、結婚生活においてガクっとすることがありまして。
私”だけ”が、楽しみにしている事がありまして、その事について夫に話そうとしたら、
「俺、その話、全く興味ないわ。悪いけど」
と言われた訳です。
うん。そうなんですよね。知ってる。
夫の興味の無い話であることは知っているんですが、私がワクワクしている気持ちを聞いて欲しいなぁって思って。
で、夫なんですが。
私が「ムスっ!!!(#`皿´)<怒怒怒怒怒怒!!! 」っとしたので、
「ごめん!違うねん!今、ちょっと他の事で頭いっぱいで、それが終わったらちゃんと聞くから」
と言ってくれた訳ですが。
それなら、その言葉を先に私に言ってくれれば私が受ける印象は大きく違ったんだろうなぁ・・・なんて。そして、「これからは話題を選んで話そうっと。」と思ったし、「結局私は自分が本当に好きで”うがーーー!!!!”ってなる物はBlogやTwitterに書くことにしようか。(現実では共感されにくい)」と言う結論に達した訳で。
だからと言って、夫と不仲という訳ではなく、今日も今日とて夫婦でぺちゃくちゃおしゃべりはしたし。
相手の立場になってみたら、自分が他に心配事がある時に、興味に無い話をテンション高めに話されるのは精神的にキツイよなぁ・・・と思う事は出来る。
だけど、
「俺、その話、全く興味ないわ。悪いけど」
の破壊力は私にとっては大きくて、確実に今後共有する物の量と質は変化したなぁと思う。
逆に、こういう態度をコドモやら他の誰かにしてはいないか?
あからさまに音として口から発しなくても、態度や表情で伝えてはいないか?
という事を考えた。
興味の無い話だけど、大切な人が嬉しそうに話す様を愛でる・・・ことを楽しむためにニコニコと聞ける人で居たいなぁと自分の未来を想像する。
そんな時、Twitterで目にしたコチラのTweetがとても素敵だった。
今まで日常の中で気が付いても一人でしか見られなかった綺麗なものを「ねえ、見て。綺麗」と呼びかけられる相手が隣にいる生活。それをしたくて、わたしは結婚しようと決めたのでした。
— ツチダ ツルギ (@tsucd) 2015, 12月 19
結婚しても、月日が経てばこういう気持ちが薄れて行くもんなんだな、お互いに、と。
それに気づいた日となりました。
身内に敵が居る恐怖
mixiニュースから感じた事を。
自分の親しい人が、【自分の同意なしにLINEの会話のスクリーンショットを手に入れて第三者に渡す】なんて、すっごく恐ろしいなって。
以前、仲良くなった人が、付き合っていた人との会話(メール、後にLINEになった)のスクリーンショットをよく晒していた。
幸せな時は「こんな風に言われて幸せ!」、うまく行っていない時は「こんな風にメールorLINEを送ったのに返事が返って来ない」とか。
時には仲違いをした人の文面を晒し、「こんな気持ち悪い事を言っている」ってやってた。
最初は幸せな内容が多かったから、
「読んでるだけで、幸せのおすそ分けだー!」
なんてヤンヤヤンヤ言っていたのだけれど、だんだんゾっとしてきた。
私、自分がコレされたら嫌や・・・
って。
芸能ニュースもそうなんだけど、全く関係の無い体で”ソレ”を見ている分には楽しいんだよなぁ。推察とか妄想とかよりうーんと具体的だから、「その時その文字」は現実だし、それを元にあれやこれや言うのは実に楽しいなって思ってしまう部分は・・・ある。
正直なところ。
だけど、やっぱり。
そういうのは「公」のまな板に乗せてはダメなんじゃないかな?って、感覚的に思う。
居酒屋で限られたコミュニティの中でブツブツ言い合うぐらいまでがボーダーなんじゃないかなって。
あんな、公に、堂々と、
”ドヤァっ!!!!!”
として良いものでは無いような気がして、自分の周囲にそういう人が居るって怖い。
以前は、私も、言われた事・された事を詳細にBlogに書いて気持ちを整理したり、誰かに共感してもらって自分を慰めるようなところがあった。
「あんな事された」「こんな事言われた」
ってネットにぶつける事しか出来ずに、ほとんど毎日のように不満ばかりを綴っていたなぁって。
そういう時期を経て、嫌な事をネットに吐き出して垂れ流さずに生きていけるようになったのは、先ほど登場した人も含め、ネットで出会った人たちの影響をたくさん受けて・・・の事だと思っています。
自分の周りにそういう事をする人が居た事、そして、時期が来て、自分とそういう事をする人と縁が切れた事、ここに来て良かったな・・・と思えて来た次第です。