好きな事を宣言しておくこと
今夜は、TV番組「モニタリング」で、私が今興味が湧いて湧いて仕方のないムロツヨシさんが出演されていました。
普段から、(動く)ムロツヨシさんが好きだと公言しているので、お風呂に入っていた私を夫がわざわざ呼びに来てくれて、「心霊現象に反応するムロツヨシ」という、実に楽しい映像を見る事が出来ました。
今日の事で、以前目にしたTweetを思い出しました。
最近思うんだけど「自分が嫌いなもの」をいつも言ってると、周りの人はそれを気にして何も出来なくなってくる。「自分の好きなもの」をいつも言ってると、何かの機会にそれが貰えたりする。なら、好きなものを呟いてるほうが得じゃないですかね?って思うんだけどどう?
— ナム軍曹 (@sgtNAM) 2015, 3月 17
以前、SNSで知り合ってBlogやメールを通じてやりとりをするようになった人が、
「こういう人が嫌い」
という事をTwitterで呟きまくっていました。
最初のうちは、呟かれている人の方が非常識なのだと感じていましたが、時が経つにつれて「こういう事する奴最低」「こういう奴は大嫌い」という”こういう”が、自分の行動をなぞっているように感じて来ました。
Blogのコメント等でやり取りすればとても優しいけれど、日頃呟く内容は暗に私を嫌いだと言っている・・・。最初は「私が考え過ぎかな?」「被害妄想かな?」と思っていたのだけれど、だんだんその人が呟く内容に興味を失ってしまって、その人の呟きにノリノリにコメントしている周囲の人にも、その人達が紡ぐ言葉にも興味が無くなってしまって、タイトル通り「好きな事しか好きじゃない」私は、社交辞令的にコメントをしたり呟きをチェックすることもしなくなってしまいました。
その人と縁が切れる時には、「大嫌い」というお言葉を頂き、
「あぁ・・・あの呟きの数々は私に向けての言葉もあったのだな、やっぱり。」
と思ったりもしました。
「あれが嫌い」「あんな事する奴が嫌い」「あれを好きだと言う奴が嫌い」「見た目が悪い奴が嫌い」「努力しない奴が嫌い」・・・
とにかくその人の色んな嫌いや不快感は怠惰な性格の私にとっては近寄りがたい雰囲気を醸しだしていて(まぁ、実際には嫌われていたので近寄って欲しく無かった、という意志の現れなのだけれど。)、話す内容に私の中で制限がかかってしまって上手く付き合えなかったなぁ・・・。
人間だもの、嫌いな物はあることはもちろんなのだけれど、それを言葉に乗せる時に「自分が嫌いな物を大切に思っている人が居る」という事を忘れないように発言しないとなぁ・・・。なんて、その人を見ながらしみじみ感じたのでした。
あんな風に「嫌い!」「私は正義!」と言いながら人を押しのけて進む様子を、私はついて行けなくなってしまって。
私が勝手にフォローさせてもらっているTwitterでも、「嫌だ」「嫌いだ」「不快だ」という意思表明を140文字の言葉に乗せて世界に発信している人は多々いるけれども、とても上手で面白いなぁって思うのです。
以前はBlogの世界しか知らなかったけれど、一昨年ぐらいからTwitterを「読み物」として楽しむようになって、世の中にこんなに天才たちが眠っているのか!!!と驚く事ばかりで。
Twitterを読むようになってから、その人(達)の言葉が、自分にだんだん合わなくなって行くのは感じました。いつまでも噂の【CopyWriting】をリツイートしていたりするのを見て、「この人の周りには、このアカウントが他人の言葉を勝手に使っているという情報がまわって来ないのかな?」と思っていたし、その人に誰も教えてあげる雰囲気では無かったのかもしれないなぁ、などと想像してみたりしています。
私も好き嫌いはハッキリしている方なのだけれど、今後の人生においては、発信する時は「好き」を全面に押し出して行きたいなぁと思っています。
そうすると、今夜みたいに素敵な情報を貰って「きゃぁ!!」と幸せなヒトトキを過ごせちゃう機会が増えていくんじゃないかなと思っています。
それってとても楽しみで、ワクワクするな。