「たい」「たくない」「安い」「高い」を基準に食べている。
コドモが私の実家へ行く時に、お昼ごはんにカップラーメンを持参して行った。
帰宅してコドモが言うには、
「おばあちゃんが”こんな身体に悪いもん食べたらあかん”ってご飯作ってくれた」
と報告が。
あぁ・・・母らしいな、と。
母は「手作り最強主義」だし「手間暇が一番主義」なので、私がやっている家事はおままごとみたいなモンなんだろうなぁ~と。
もちろん、手間暇かけた栄養満点の食事をコドモに食べさせてくれた事はとてもありがたいのだけれど、付け加える言葉が・・・なぁ・・・と思ってしまった。
「子どものため」「子どもの幸せのため」といいながら、いともたやすく子どものささやかな願いを無視し続け、あるいは時として憎みさえする人もいる。
— dicegeist (@dicegeist) 2016, 2月 11
そうした人にとって、「多くの人は信じないような、労力を費やさないような特別なことに打ち込んでいる『自分』」の方が大事かもしれない。
私がスピリチュアルな内容に傾倒していた頃、周囲がどんどん
「身体にいいからコレを食べる」
「身体に悪いからコレは食べない」
という宣言をしだすようになって、そういう人たちが周りに増えたように感じる時期があった。
私は・・・と言えば、「納豆を食べると髪の毛がツヤツヤするよ」と聞けば、買い物の時に「あ、納豆買おうか」ぐらいは思うけれど、「これは食べてはダメ」なんて事は思わないタイプで。
日本の流通に乗っている物は基本信頼している
というのが私のスタンスで、食べる食べないは、「食べたい」「食べたくない」「安いから買う」「高いから買えない」が軸になっているのです。
あとは、「毎日同じものを一生食べ続ける訳ではないから」という気持ち。
どんな食材だって”過ぎる”と身体には悪くなるんでしょ?ぐらいで。
なので、食にすごいこだわりを持って特定の食材を排除して生きている人とは、一緒に食事をするのはちょっとしんどいだろうな、と思う。でも、付き合えないか、と言うと、自分の主張を他人に押し付けず、自分の中のルールを楽しく消化している人なら、一定の距離を持って付き合っていけるんじゃないかなぁ・・・と。
ただ、自分が「コレ食べた!美味しかった!」なんて言う画像をアップしたら、
「○○は身体に悪いからできれば▼▼に変えた方がいいよ♪」
なんて善意でコメントしてくる人とは「うっせ。」と思って距離は取りたい。
あ、これはお互いに、だろうな。