好きなことしか好きじゃない。

~空気は読めない~

他人の「好き」は面白い

メレ山メレ子さんの「ときめき昆虫学」を読み終えた。

何と言うか・・・とてもとてもウキウキした。

メレ山メレ子さんやあの本に登場する「好き」という気持ちが溢れていて、文字をとおしてそこに触れるのが、本当に楽しかった。

好きという気持ちと、損得関係のない気持ちと、自分の好きが絶滅しないように行動する強さと。

それが、なんとも読んでいて楽しくてワクワクした。
大人になっても全力で好きなことを追いかけて、夢中になって、仲間と遊ぶ。
そんな様子がなんとも楽しくて。

なんか、なんか。

何もない私なんだけど、自分も今から何か出来るんじゃないかな?!って言う気持ちがムクムク湧いて来て、それがとても自分の未来に明かりを灯したようで楽しかった。

それが、「お金を産む」事で無くても。

という事で。

私の元夫は、「全てがビジネスに繋がるかどうか」という視点で生きていた。

私が好きで夢中になっている事に、「それは、お金に繋がるのか?」と聞いた。「それはお金につながらなくても私は好きだ」という気持ちを共感してもらえる事は難しかった。

自分の周囲に居る人が、全て自分のビジネスにお金を出す存在であると信じて疑わない思想や、自分のビジネスにお金を出さない人とは付き合わないという確固たる信念を持った元夫は、自分が取り扱っていた商材を私の知人・友人に「売ってきて」と要求したし、私は、断って来た。

お金を産まない趣味を、(と言っても、ほとんどの趣味はお金を吸い取ってしまう存在なんだけども、)認めない結婚生活を10年ほど過ごして、なんとなく、「家庭の主婦が趣味にお金を使う事に対する罪悪感」というものが私にじんわりと張り付いていたみたい。

なので、ただ好きで書いているブログもビジネスに繋げなきゃいけない気がして、キラキラ女子を目指している風で必死だったし、背伸びをして書いていた気がする。
「気付き」とか「学び」とか「感謝」とかをふんだんに盛り込んだブログを書いていたな、と。

そういうのが全部終わって(離婚して)、自分の好きな事をただ書き綴る、ひたすら自分が気持よくなるために書き綴るブログをこうして始める事が出来て、人の目を気にせずに自分の心に沸き起こった物を放流する作業というのは、結果的に何にもならないけれどとても楽しくて心地よい事が分かった。

これから、自分の周りには「自分が心地よくてほっこりする」物事を置いて行こうな、と思っているのだ。

もちろん誰かのどこかに働きかけられるような人には憧れるけれど、私が「ほぇ~!楽しそうやな」と思う人たちは、本当に楽しそうで、その物事が好きで、っていうのが溢れてる。

それを、私は見るのが好きで、そういう好きに触れて、「わ。私も実はコレが好きやった」とか「あれ?私ってこれが好きじゃない?」とか、そうやってまた自分の内側が耕されていく感じがする。

私もーーー!!昆虫の接写写真を撮影したいなぁ~。

近所にいっぱい見応えがある虫・鳥・花が居るんだよ~~!!